その1・ゴールデンウィークと等々力
5月8日、人によっては10連休の最終日で、「明日からまた仕事か!」と少し憂鬱な
気分で朝を迎えているころ、私はマイ・ママチャリに跨り、颯爽と等々力に向かって
いた。すくなくとも傍目にはそう見えたかもしれない。
内心は何十年振りかの「試験」を前に極度の緊張と落ちたらどうしようという不安で、
「10連休組」よりも憂鬱な気分だった。
「久本の人でこれまで落ちた人いないんだからね。最初の1人にならないでよ!」と
励ましとも罵倒ともつかぬ出がけ際の我が奥さんの一言が、時々頭をよぎる。
結婚して10年もたてばこんなもんか(いや、もとからそうか)。間違えても「夫の審判試験
合格を願って×××を歌います」と母の会で今井美希の歌を熱唱したという○○さん
の奥さんのようなことはありえない。
そんなことを考えているといつの間にか試験場の等々力会館についてしまった。
受付時刻は9時30分。まだ9時にもなっていない。だが、すでに20人くらいの人がロビーで待っていた。
しばらくすると、同じ久本のKさんもやってくる。
「約束ですよ。落ちたら都合が悪くなって来なかったってこと、いいですね。」と念
押しする。
Kさんも「いやー、お互い様っすよ」と言っているが、Kさんは私より7歳も若い。
当然、体力も記憶力も私よりも勝れているわけで、おまけに学生時代は陸上
をやっていたとのこと、どう考えても落ちるとしたら私の方だ。
後で気が付いたのだが、4年のSさんも当日「お忍び」で受けに来ていた。
やはり誰もが「久本第1号」になるのを恐れているようだ。
来ている人たちは30〜40代がほとんどだが、女性が2人、中学生も1人来ていた。
全部でだいたい60人くらいといったところか。
思い起こせばちょうど1年前のゴールデンウィーク、当時の2年生の公式戦がここ
等々力で行われたのが、「審判資格」を受験することになったきっかけだろうか。
結成1カ月足らずのチームが組み合わせの幸運にも恵まれて、一次予選を突破。
それまで、息子のお付き合いで仕方なく練習に参加していた程度だったが、子供たちの必死
の姿にグッと引き込まれてしまった。
特に場所を梶が谷小に移しての2次予選のかじがやFC戦は接戦だったこともあって、
(皆さん感激しましたよね、あのときは)興奮のあまりラインを越えそうになって役員に
注意されたお母さんが約3名出たほどだった。
直後にNさんが、4級審判資格を取得し、「次はあっくんのお父さんですね。」
とにこやかに「 サッカー競技規則」とビデオを渡してくれた。
「じゃ、その内」と気軽に引き受けたのだが、面倒なことは何でも先送りにしてしま
うルーズな性格が災いしてか、いつの間にか1年近くが過ぎてしまい、そうこうして
いるうちKさんはじめ、他のお父さんたちが「審判取りますよ」と申し出てきた。
そうなると黙ってられないのが我が奥さん。
「いったいいつになったら審判取るのよ!」とことあるごとに、責められる。尻をたたかれるように、サッカー協会のサイトをチェックすると5/8と6/26に等々力で講習会の案内がでているではないか。
夏場1500メートル走るのは命にも関わるのでそれだけは避けたかった。
慌てて申し込み書類を送り、運良く5/8の講習会に滑り込むことができたというわけだ。
などと思い出に耽っていると、「では、今から受け付けを始めます」と言う声がか
かった。(その2・集中力、持続力、忍耐力?へ続く)
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